鹿児島浜節

鹿児島民謡の中で 現在では代表的な座敷唄の一つとして

数えられる唄です

曲そのものは比較的新しく おそらく大正年間に出来上がったものと思われます

 

曲の作者については諸説ありますが その一説として名前が上がるのが 土地の芸人川西テルです

鹿児島には大正2年に開場した『鹿児島座』という劇場があり そこの専属少女歌舞団として「若葉会」が結成されました

その若葉会の指導者であったのが川西テルで 元は女流

義太夫語りだったと言われています

 

鹿児島座はわずか6年で火災のため閉鎖されましたが その後ホームグランドを失った若葉会

は遠く関西や関東まで巡業し 各地で少女歌舞伎や手踊りなどを披露しました

その中にこの鹿児島浜節もあったようで 他所の土地で評判のよかった浜節は逆輸入のような

形で鹿児島でも流行しました

 

元々手踊り用の曲として作られたことから 古い録音では比較的小気味好いテンポで 勢い良く

歌われており 現在の歌い方とは趣きが大きく異なります

 

歌詞は明治から流行してた茨城県の磯節の一節を転用し「水戸を離れて 東へ三里 波の花散る

大洗」を「鹿児島離れて 南へ八里 波に花咲く 吹上浜」という替え歌になっていますが 字数を

優先したため 「(鹿児島市内から)南へ八里」と歌われている吹上浜(南さつま市)は正確には

「西へ八里」に位置します

三味線の前弾きから始まりますが 歌い始め「鹿児島離れて」までは三味線の伴奏が抜け

ゆったりとした追分調の節で始まり その後三味線の伴奏が戻って曲が進行するため

変化に富んでおり 民謡コンクールなどでも人気のある曲です

 

戦前から阿部笑山 赤坂小梅 音丸などによりレコード化されていますが 全国的に知られるように

なったのは鹿児島の観光業者であった岩崎與八郎が自社の所有していた人工湖「さつま湖」の

宣伝用に新たな歌詞を作り 赤坂小梅を招いてレコーディングしてからの事です

 

地元の歌い手としては前園とみ子 児玉辰雄 上玉利三司などのレコードが発売されており

歌い方も時代を経て変化している様子がわかります

 

川西テル自身もレコーディングしたという新聞記事はありますが 肝心のレコード盤は現在の

ところ見つかっていません

 

国立国会図書館に所蔵されている昭和27年にビクターでレコーディングされた盤は

川西テルの指導下にあった当時の若葉会に所属していた有島民子が歌い 同じく若葉会出身の

梅澤サダ子が三味線伴奏を勤めており これがおそらく成立当初の浜節の型を一番色濃く残して

いるのではないかと推察されます

 

桜島 吹上浜 開聞岳 錦江湾 佐多岬 城山など 鹿児島県下の風光明媚な土地が歌詞に織り

込まれており さながら「歌う鹿児島観光マップ」といった趣きです

 

 

鹿児島浜節

  鹿児島離れて 南へ八里 トコ ヨーイヤサッサ(コラショイ)

    波に(※『波の』と歌う場合もあり)花咲く ヤサホイノ 吹上浜

 トコ ヨーイヤサッサ (シテマータ ヨーイヤサ コラショイ)

 

  見たか聞いたか 錦江湾に

  空に火を吐く 桜島

 

  佐多の岬に 灯台見ゆる

  月も朧に 薩摩富士

 

  鹿児島港に 入船出船

  見ゆる桜島 蜜柑船

 

  沖の漁り火 涼しく更けて

  夢に見るよな 桜島

 

   ※「トコ ヨーイヤサッサ」を「トカ ヨーイヤサッサ」と歌う場合もあります

   ※唄囃しも時代によって変化しています

 

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